Little Shark’s Visit to the Jellyfish Pavilion:
Why the Piano of Hope Must Endure
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唐草の風呂敷と、消えゆく夢の島
2025年10月12日。万博閉幕の前日。
八魚町の小さなサメの子は、いつもの唐草(からくさ)模様の風呂敷を背負って、よちよちと夢洲に向かいました。
目的地はシグネチャーパビリオン界隈「いのちの遊び場 クラゲ館」。
ずっと行きたかったけれど、夏は記録的な猛暑で身動きできず、秋になってようやく奇跡的に予約が取れたのです。
でも、クラゲ館で出会ったのは、美しい360度の映像と音の世界だけではありませんでした。
「明日で、ぜんぶ終わっちゃうんだよ」
「希望のピアノ」の前で、ある女の子がそうつぶやいていました。子ザメちゃんは首をかしげます。
クラゲのピアノで、いのちの名前を
そのピアノは、特別なピアノでした。
日本中、世界中の0歳から120歳までの子どもたちが描いた、900体ものクラゲたちでラッピングされたヤマハCFX。病院のベッドから出られない子どもたちも、このピアノのために、自分だけのクラゲを描いたのです。
子ザメちゃんは、そっとピアノの鍵盤に触れました。
小さな手が奏でたのは、「いのちの名前」。そして「言伝」。
どちらも、戦後80年続く平和の中で生まれ、育まれた曲です。
「いのちの名前」は命の輝きと希望を歌い、「未来の前にすくむ心が いつか名前を思い出す」と語りかけます。万博という未来への夢が終わろうとする今、まるで万博を愛した人々の心を代弁するように。
「言伝」は、悲しみの中でも前に進もうとする人々の勇気を讃え、「明日が来る」ことを隣の誰かと喜び合える世界を願います。万博が終わっても、その想いを未来へつなぐ決意を、そっと後押しするように。
子ザメちゃんなりに、ゆっくりと、心を込めて。
「クラゲちゃんたち、どこいくの?」
女の子は答えられませんでした。
希望のピアノも、創造の木も、Co-クラゲの短冊も、あの没入空間も、すべて明日で最後。
病院で描いたクラゲたちの「希望」も、ここで消えてしまうのでしょうか。
バーチャル万博までも、リアル万博と一緒に終了する。
子ザメちゃんは、唐草風呂敷をぎゅっと抱きしめました。
そして、ピアノに描かれた小さなクラゲたちを、一つ一つ、やさしく見つめました。
ピアノの音色が、クラゲ館の空間に静かに響いていました。
風呂敷の中には、消えないものを
子ザメちゃんの風呂敷の中には、大切な宝物が入っています。
思い出の写真。拾った貝殻。友達からもらった手紙。
どれも、時間が経っても色褪せない、心の宝物です。
「大切なもの、なくしちゃだめ」
子ザメちゃんは、サメ語でそう言いました。人間の言葉ではないけれど、その気持ちは、クラゲ館にいるすべての人に伝わったような気がしました。
希望のピアノに描かれた900体のクラゲたち。入院中で万博に来られなかった子どもたちの創造性のかけらが、ここに詰まっています。病院のベッドから、精一杯手を伸ばして描いた、小さな希望。
子ザメちゃんが弾いた「いのちの名前」と「言伝」。その音色も、クラゲたちの絵も、このピアノに込められた想いも。
それを、本当に消してしまっていいのでしょうか。
クラゲは、ゆらゆら漂い続ける
クラゲ館のコンセプトは「いのちのゆらぎ」でした。
クラゲは、海流に身を任せながら、でも確かに生きています。方向を失っても、流されても、それでも漂い続けます。
万博も、そうあるべきではないでしょうか。
リアルの会場が閉幕しても、その「いのち」は消えません。思い出、学び、感動、つながり。それらは、形を変えながら、ゆらゆらと漂い続けることができるはずです。
バーチャル万博が終了するのは、まるでクラゲを水槽から出して干からびさせるようなもの。でも、デジタルの海は無限です。そこでクラゲを泳がせ続けることは、技術的にも、経済的にも可能なのです。
子ザメちゃんが教えてくれること
好奇心は、終わらない
子ザメちゃんは好奇心旺盛です。ハイキング、ボウリング、新しい場所への冒険。何にでも興味を持ちます。
希望のピアノで「いのちの名前」を弾いたとき、子ザメちゃんは何を感じたのでしょう。「言伝」の旋律に、どんな想いを込めたのでしょう。
万博に行けなかった子どもたちにも、その好奇心はあります。
バーチャル万博を残せば、彼らはいつでも夢洲を訪れて、クラゲ館で「いのちのゆらぎ」を感じることができます。希望のピアノを、バーチャル空間で弾くことだってできるのです。
礼儀正しさは、大切
子ザメちゃんはTPOをわきまえます。
万博会場やバーチャル万博の保存も、同じです。
多くの人々の努力、技術、思いが詰まった場所を、たった半年で消してしまうのは、その努力への礼儀を欠いているのではないでしょうか。
宝物は、守るべき
子ザメちゃんは唐草の風呂敷に宝物を入れて、どこへ行くときも持ち歩きます。
万博も、私たちの宝物です。未来の宝物です。
特に、希望のピアノは守らなければなりません。病院に入院中で万博に来られなかった子どもたちが描いた900体のクラゲたち。0歳から120歳まで、日本中・世界中の人々の創造性が詰まったヤマハCFX。
このピアノを解体してしまうことは、子どもたちの「希望」を解体することと同じです。
宝物を守る「風呂敷」——つまりバーチャル空間やアーカイブ、あるいは実物の永久保存——は、すでに存在しています。あとは、その風呂敷にきちんと包んで、大切に持ち歩き続けるだけです。
万博ロスの海を、一緒に泳ごう
万博が終わって、心にぽっかり穴が開いたような気持ちになっている人は多いはずです。
あの賑わい。あの興奮。あの「未来」の感触。
それらが10月13日の23時に、プツンと切れてしまうのは、あまりにも寂しい。
でも、子ザメちゃんは教えてくれます。大切なものは、風呂敷に入れて持ち歩けばいい。海の中で、ゆらゆら漂い続ければいい。
私たちができる3つのこと
クラゲのように、声を上げ続ける
クラゲは静かに見えても、海流を動かす存在です。
私たちも、SNSで、署名で、問い合わせで、「バーチャル万博を残してほしい」「万博会場の一部を保存してほしい」という声を上げ続けましょう。
今すぐできること:
- #バーチャル万博を残そう
- #クラゲ館を忘れない
- #万博は終わらない
風呂敷を広げて、記録を共有する
子ザメちゃんのように、自分の「宝物」を大切に保管しましょう。
- スクリーンショット
- 動画
- 感想ブログ
- 手書きのスケッチ
- 希望のピアノで弾いた「いのちの名前」や「言伝」などの録音
それらを共有することで、公式が消しても、私たちの記憶の中で万博は生き続けます。非公式アーカイブ、コミュニティミュージアム、ファンメイドの3D再現。クリエイティブな方法はいくらでもあります。
特に希望のピアノは、デジタルアーカイブとして3Dスキャンし、バーチャル空間で永久に演奏できるようにすべきです。子ザメちゃんが弾いた音色のように、誰もがそこで「いのちの名前」を奏でられるように。入院中の子どもたちが描いたクラゲたちを、消してはいけません。
「いのちのゆらぎ」を信じる
クラゲ館のテーマは「いのちのゆらぎ」でした。
物事は、まっすぐには進みません。揺れながら、迷いながら、でも確かに前に進みます。
バーチャル万博の復活も、万博会場の一部保存も、今すぐには実現しないかもしれません。でも、諦めなければ、いつか実現します。
ゆらゆらと、でも確実に、その方向へ漂い続けましょう。
子ザメちゃんからのメッセージ
「たいせつなもの、なくしちゃだめ」
「うみは、ひろいよ」
「いっしょに、およごう?」
子ザメちゃんは、唐草風呂敷の中から、小さなクラゲの短冊を取り出しました。クラゲ館のCo-クラゲコーナーで書いたものです。
そこには、こう書かれていました。
「ずっと、ゆらゆら」
そして、もう一度、希望のピアノに向かいました。
今度は、ほんの少しだけ、自分の気持ちを込めて。
「いのちの名前」のメロディが、クラゲ館に響きます。
900体のクラゲたちに、聞こえるように。
病院のベッドで、このピアノのことを想っている子どもたちに、届くように。
万博は終わらない。終わらせない。
10月13日、リアル万博は閉幕します。でも、それは終わりではありません。
クラゲが海を漂い続けるように、万博の「いのち」も漂い続けることができます。
バーチャル空間で。アーカイブで。私たちの記憶で。そして、いつか実現する新しい形で。
子ザメちゃんは、今日も唐草風呂敷を背負って、新しい冒険に出かけます。
私たちも、一緒に泳ぎ続けましょう。
万博ロスの海を、希望という潮流に乗って。
A Message from Little Shark
Little Shark visited the Jellyfish Pavilion on the eve of the exposition’s closure, her cherished furoshiki cloth upon her back. Within that patterned wrap, she carries treasures—memories that ought not fade, moments that deserve preservation.
Before the Piano of Hope—a Yamaha CFX wrapped in 900 jellyfish illustrations drawn by children aged 0 to 120 from across Japan and the world—she paused. Many of these young artists were confined to hospital beds, unable to visit the exposition themselves. Yet their creativity, their hope, adorns this instrument.
She placed her small fins upon the keys. “Inochi no Namae” (“The Name of Life”) flowed forth, followed by “Kotodzute” (“Message”). Slowly, tenderly, she played for the jellyfish, for the children who drew them from distant hospital wards.
“Mustn’t lose precious things,” she murmured in Shark language, gazing tenderly at each small jellyfish upon the piano’s surface.
The pavilion’s theme was “the rhythm of life”—the gentle undulation of existence itself. Jellyfish drift with ocean currents, yet persist. They navigate uncertainty not through rigid determination, but through graceful yielding and continuous movement.
The Virtual EXPO, too, might drift onwards. The physical venue may close, yet its digital counterpart possesses no such constraints. Archives could preserve the navigable space. Communities could steward open-source recreations. Educational partnerships could sustain its pedagogical value.
The Piano of Hope, particularly, warrants preservation—whether through 3D scanning for virtual performance or physical conservation in a museum. To dismantle it would be to dismantle the hopes of children who drew from their hospital beds, reaching towards a world they could not physically attend. Future visitors should be able to play “Inochi no Namae” upon this same piano, surrounded by these same 900 jellyfish, in virtual perpetuity.
Little Shark teaches us: curiosity endures beyond scheduled closures, courtesy demands we honour the efforts invested in creation, and treasures warrant safekeeping—whether in furoshiki wrappings or digital archives.
The ocean is vast, she reminds us. There is room for all our cherished memories to swim freely, for all 900 jellyfish to continue drifting in digital waters, for the melodies of “Inochi no Namae” and “Kotodzute” to echo eternally, if only we choose to preserve them.
“Let’s swim together?” she asks, in her gentle Shark tongue.
Yura-yura. Drifting, always drifting. But never disappearing.
あなたのクラゲ館の思い出、万博の宝物を、Twitter(現X)などのソーシャルメディアやコメント欄でシェアしてください。 一緒に、この「いのち」を守りましょう。







