くむろぐをご訪問いただきありがとうございます。
このブログのカテゴリーは、PALAUとなります。
前回、こちらの記事でパラオの憲法記念日を取り上げました。
実はパラオは、日本と血を分けた兄弟のようなつながりを持った親日国なんです。
今回は、パラオの歴史についてざっくりと学んでみましょう。
あらかじめ知っておくと、パラオに旅行で行った時にも楽しみが増えますよ!
♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰⋱✮⋰⋱
パラオの歴史
パラオの歴史は、約4000年前の人が住んでいたと推定される古代から、ヨーロッパ人の探検や植民地化、日本の委任統治や太平洋戦争、アメリカの信託統治や自由連合協定、そして1994年の独立と国連加盟まで、さまざまな変遷を経てきました。
なんかわかりにくいですが、要するに日本をはじめとする色んな国が関わって、今のパラオがあります。
パラオとヨーロッパの国々
パラオは16世紀頃から、海運の進歩によりミクロネシア諸島にヨーロッパ人が訪れるようになりました。
スペイン人が最初にこの地を踏み、次いでポルトガル人やイギリス人がやってきました。
パラオは1885年にスペイン領東インドの一部になりましたが、これらのヨーロッパ人により天然痘が流入し、現地人の人口は90%程も減少しました。
1899年にスペインは、パラオを含むスペイン領東インドをドイツ帝国に売却。
それに伴いパラオはドイツ領ニューギニアの一部となり、ココナッツやタピオカの栽培、アンガウル島でのリン鉱石の採掘などが行われました。
しかし、ドイツは現地人に対してほとんど教育やインフラ整備を行わず、パラオがもたらす富はドイツ人に独占されていました。
パラオと日本
1914年に第一次世界大戦が始まると、日本がドイツ領ニューギニアを占領。
1919年のパリ講和会議により、パラオは日本の委任統治領となりました。
ほどなくして日本はコロールに南洋庁を置き、多くの日本人を移住させます。
そうして日本はパラオ人に対して日本語教育やインフラ整備などを行い、みるみるうちにコロールは近代的な町並みへと変貌しました。
1933年に日本が国際連盟から脱退した後も委任統治を続けましたが、海軍の基地や施設を建設しました。
1941年に第二次世界大戦(太平洋戦争)が始まると、パラオは日本軍の重要な拠点となります。
1944年には連合国軍の攻撃を受け、ペリリュー島で激しい戦闘が行われました。
この戦闘では、日本軍の作戦が数で圧倒的に勝る米軍を抑え込み予想以上に泥沼化し、日本兵約1万3000人とアメリカ兵約2000人が戦死しました。
「ザ・パシフィック」をみてみよう
このペリリューの戦い、ならびに太平洋戦争については「ザ・パシフィック」というアメリカのドラマシリーズで超リアルに再現されています。
実体験を元にトム・ハンクスやスティーブン・スピルバーグなどの豪華製作スタッフが迫真の映像を作り上げており、毎回映画のようでとても迫力がありました。
なお、残酷なシーンが多数あるので、苦手な方は閲覧要注意です。
もしご興味があれば、ビデオ・オン・デマンド(VOD)で今すぐ鑑賞することができるので、この機会に無料トライアルしてみてはいかがでしょうか?
以前はDVDやブルーレイディスクしか選択肢がなかったんですが、なんとも便利な時代になりましたね。
【本】舩坂弘「英霊の絶叫」を読んでみよう
英霊の絶叫とは、舩坂弘という元日本兵が書いたノンフィクション戦記の本です。
舩坂弘は第二次世界大戦中にアンガウル島で米軍との激戦を生き抜き、不死身の分隊長と呼ばれた人物です。
本書では彼が体験した戦闘の様子や、捕虜になった後の生活、戦後に再会した米軍通訳との友情などが赤裸々に描かれています。
三島由紀夫が序文を書いており、彼は舩坂弘の剣道の先輩でもありました。
三島由紀夫は本書を「勇猛果敢の真実」ともいえるものの自己証明の文学と絶賛しました。
また、本書は読書メーターにおいても高い評価を得ており、多くの読者が感動や衝撃を伝えています。
英霊の絶叫は、パラオの過去、戦争の悲惨さや平和の尊さを伝える一冊です。
舩坂弘が残した言葉に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。
パラオとアメリカ
1945年9月2日に日本が降伏すると、パラオはアメリカの信託統治領となりました。
1951年にサンフランシスコ平和条約が発効すると、パラオは国際連合安全保障理事会決議21号に基づき、アメリカ合衆国の信託統治下に置かれる太平洋諸島信託統治領の一部となりました。
アメリカはパラオに対して経済援助や社会開発を行いましたが、同時に核実験や軍事基地の建設を計画しました。
1979年にパラオは太平洋諸島信託統治領の他の5地域とともにミクロネシア連邦を構成することが決まりましたが、パラオはこれに反対し、独自の憲法を制定しました。
パラオの憲法には非核条項が含まれており、核兵器や原子力発電所の使用や貯蔵を禁止していました。
この条項はパラオ人の自然と平和への愛着を反映したものでしたが、アメリカとの自由連合協定(コンパクト)の締結に障害となりました。
コンパクトでは、アメリカがパラオの防衛責任を負う代わりに、パラオがアメリカ軍の基地や施設を受け入れることが定められていましたが、非核条項によってアメリカ軍が核兵器やその他の有害物質を持ち込むことはできませんでした。
1994年10月1日にパラオはコンパクトを批准し、国連加盟国として独立しました。
パラオ共和国
現在のパラオ共和国は大統領制をとり、16の州があります。
パラオの国旗は海を表す青地に月を表す黄色い丸があります。
鮮やかでキレイなデザインだね!
日本の国旗の日の丸よりも若干、左にずれていますね。
これは、兄弟のように慕っている日本に敬意を払ったものと言われています。
パラオの国名はパラオ語でBeluu er a Belauといい、マレー語で島を意味するPulauに由来します。
パラオの公用語は英語とパラオ語となっていますが、パラオ語の中には日本語の影響が色濃く残っていますよ。
前述の通りパラオは日本と非常に友好的な関係を維持しており、日本はパラオに対して多くの援助や協力を行っています。
また、パラオには日本統治時代の遺構や遺跡が多く残されており、歴史的なつながりも強いですね。
パラオの主な産業は観光と漁業で、美しい珊瑚礁のダイビングやマリンスポーツが人気です。
♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰⋱✮⋰⋱
パラオ豆知識
パラオは日本から約4時間半の距離にあり、時差もありません。
パラオへの旅行はグアム経由か直行便で行くことができます。
(2023年7月現在は、グアム経由のみ。直行便はデルタ航空が2018年5月まで運航していました)
パラオの気候は年間を通じて平均28℃前後で安定しており、乾季が11月から5月、雨季が6月から10月です。
なお、通貨はUSドルです。
Palau’s history
Palau’s history has undergone many changes, from ancient times, when it is estimated to have been inhabited for about 4000 years, to European exploration and colonisation, to the Japanese Mandate and the Pacific War, to the American Trusteeship and the Agreement of Free Association, to independence and UN membership in 1994.
Palau began to attract Europeans to the Micronesian islands around the 16th century, thanks to advances in shipping. The Spanish were the first to set foot on the land, followed by the Portuguese and the British.
Palau became part of the Spanish East Indies in 1885, but these Europeans brought an influx of smallpox, which reduced the local population by around 90%.
In 1899, Spain sold the Spanish East Indies, including Palau, to the German Empire.
Palau became part of German New Guinea, where coconuts and tapioca were cultivated and phosphate ore was mined on Angaur Island.
However, Germany provided little education or infrastructure for the locals, and the wealth Palau brought was monopolised by the Germans.
Palau and Japan
When the First World War began in 1914, Japan occupied German New Guinea.
The Paris Peace Conference of 1919 made Palau a mandate territory of Japan.
Japan established the South Seas Agency in Koror and settled many Japanese.
Japan provided Japanese language education and infrastructure for the locals, and Koror was transformed into a modern town.
After Japan withdrew from the League of Nations in 1933, the mandate continued, but a naval base and facilities were built.
As the Second World War (Pacific War) began in 1941, Palau became an important base for Japanese forces.
In 1944, the island was attacked by Allied forces and heavy fighting took place on Peleliu Island.
Some 13,000 Japanese and 2,000 American soldiers were killed in the fighting.
When Japan surrendered on 2 September 1945, Palau became a trust territory of the USA.
♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰⋱✮⋰⋱
When the San Francisco Peace Treaty entered into force in 1951, Palau became part of the Trust Territory of the Pacific Islands under the trusteeship of the United States of America in accordance with United Nations Security Council Resolution 21.
The US provided economic aid and social development to Palau, but at the same time planned nuclear tests and the construction of military bases.
In 1979, it was decided that Palau, along with five other Trust Territory of the Pacific Islands, would form the Federated States of Micronesia, but Palau opposed this and adopted its own constitution.
The Palauan constitution contained a non-nuclear clause, which prohibited the use or storage of nuclear weapons or nuclear power plants.
This clause reflected the Palauan people’s attachment to nature and peace, but it was an obstacle to the signing of the Compact of Free Association with the USA.
The Compact provided that Palau would host US military bases and facilities in return for the US assuming responsibility for Palau’s defence, but the non-nuclear clause prevented US forces from bringing in nuclear weapons or other harmful materials.
On 1 October 1994, Palau ratified the Compact and became an independent UN member state.
Today, the Republic of Palau has a presidential system and 16 states.
The Palauan flag is blue for the sea with a yellow circle for the moon.
The country’s name is Beluu er a Belau in Palauan, derived from the Malay word Pulau, meaning island.
The official languages of Palau are English and Palauan, although the Palauan language has some Japanese influence. Palau’s main industries are tourism and fishing, with beautiful coral reefs and marine sports being popular.
Palau maintains friendly relations with Japan, which provides much aid and cooperation to Palau.
Palau also has strong historical ties with Japan, with many remains and relics from the Japanese colonial period remaining in Palau.
Palau is approximately 4.5 hours from Japan and there is no time difference.
Travel to Palau can be via Guam or direct flights.
Palau’s climate averages around 28°C throughout the year, with a dry season from November to May and a rainy season from June to October. The currency is the US dollar.
♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰⋱✮⋰⋱
最後までお読みいただきありがとうございました。
この記事があなたのお役に立ちましたら幸いです。
ではノシ