大阪万博(以下、万博)が春にめでたく開幕して、予想以上にすごかった!楽しかった!という声をよく聞きます。
そう、開幕前は酷評(泣)もあった万博ですが、蓋を開けてみると、期待を遥かに上回る完成度だったのです。
私たちが万博を想像するとき、それはワクワク!ドキドキ!そしてミャクミャク!に溢れた、カラフルに光り輝く祝祭のようなイメージですよね。
半年間の近未来的イノベーション、世界中の素敵な文化たち、そして繋がりの祭り。
しかし、そのような世界規模の祭典をせっかく見事に創り上げることができたのに、なぜそれを短期間で消し去らなければならないのか?
大前提として、万博は半年という期間限定の祭典です。
しかし万博が大好きな人にとっては、万博ロスを想像したくもないはずなんです。
その気になれば、運営さんは単なる「短期間のイベント」ではなく、永きにわたって未来への生きた遺産を開催できるのではないでしょうか?
前向きな道は、必ずある。
このブログは、万博の会期延長を望む、万博大好きなあなたに向けて全力でお届けします!
早速いってみましょう!!
The Osaka Expo need not be six months of brilliance extinguished.
With imagination, generosity, and resolve, it may live on as a University of the Future, a Festival of Humanity, and a covenant with tomorrow.
The question is not whether we can afford such a legacy — but whether we can afford to let it slip away.
残り1ヶ月の現実と未達成の約束
このブログ執筆時点で、万博も残すところ1ヶ月となりました。
ただでさえ混みがちな万博ですが、今となっては「駆け込み万博」界隈で会場はますます混雑するばかりです。
いや、インターネットのチケット購入から、すでに大行列です。
長い時間をかけて、やっと進んでも、もう枠は一杯で新たに購入することはほぼ不可能。
そして、運営が当初目標に掲げていた「並ばない万博」は、一体どこへ行ってしまったのか……
結局未達成のまま終わろうとしています。
来場者、スタッフさん共に「半年があっという間だった」…と閉幕を惜しむ声をアチラコチラでよく聞きます。
この状況こそが、万博延長の必要性を物語っているのではないでしょうか?
異常気象のとんでもない暑さで行けなかった人々、体調不良で行けなかった人々、家から遠くて諦めた人々、仕事の都合で時間が取れなかった人々……
多くの人がまだ万博を体験できずにいます!
わずか半年という短期間では、すべての人に平等に万博を楽しむ機会を提供することは不可能だったのです。
行きたくても行けない現実
万博に「行きたいのに行けない!」という声も数多く聞こえてきます(特にファミリー層やシニア層)→
とりわけ関西以外からは、遠すぎて交通費が異様にかさむ。
物価高騰が続く中、家族で万博に行く費用は、家計に重い負担となる。
育児に追われる親、激務に忙殺される会社員、スーパーアルバイター(ちいかわ風)……
まさに、時間を作ること自体が困難な状況です。
せっかく行けても残念な体験
そして、なんとか時間と費用を捻出して行けた人々からも、厳しい現実が報告されています→
異常気象による酷暑の中、万博会場までの行き帰りはまさに苦行のよう。
会場内も人であふれかえり、思った以上に地獄ッ!
一体何の修行なんだ!!
肝心のパビリオンはどっこもかしこも大混雑で入ることすらできず。
「並ばない万博」どころか「ただひたすら並び続ける万博」だった
……という声が後を絶ちません。
いや、最終的には人多すぎて並ぶことすら許されない万博となってしまいました。
ただただ悲しい。
現実の壁:半年というルール
確かに現実的な課題も存在します。
国際博覧会事務局(BIE)の規定では「最大6か月まで」と定められており、これを超えると「登録博覧会」としての認定が失われる可能性があるため、延長はほぼ不可能とされています。
……
JOJO(ジョジョの奇妙な冒険)第二部風に言わせていだだくと、
あんまりだ…H E E E E Y Y Y Y あ ァ ァ ァ ん ま り だ ァ ァ ア ァ
(ピクシブ百科事典より)
とはいえ!!とはいえです。
今回は、半年で終わらせるにはあまりにも勿体ない、完成度とクオリティの高すぎる「過去最高の万博」ができあがってしまったのです。
大阪万博には、そんなルールをいとも簡単にひっくり返せるくらいの、宇宙規模のエネルギーを感じるんですよね。
ここは「大阪万博ルール」として特別に規約を変更してでも、開催期間の延長を実現してほしいと思います!
落合陽一氏の涙ながらの投稿が物語る延長の必要性
万博の期間延長の必要性を最も痛切に物語る一つのエピソードがあります。
プロデューサーの落合陽一さんによる、null²(ヌルヌル)という神秘的なシグネチャーパビリオンについての体験談です。
彼のチームは限られた予算の中、発注芸術でなく「定額働きたい放題」の手弁当芸術として、全員の手作業でこのパビリオンを完成させました。
開会式の朝に自分のパビリオンで目を覚まし、夜のパーティーにも出ずにデバッグと修正を続けた……
そんな情熱で作り上げた作品が、皮肉にも「人気になりすぎた」ことで新たな悲劇を生むことになりました。
「予約がないと入れません」
毎日何十万人、何百万人もの来場者に、この言葉を繰り返すスタッフの心境を想像してみてください。
修学旅行で来た子どもたち、70年の大阪万博も経験したおばあちゃん、汗だくになって会場を歩いてきた家族連れ……
みんながガッカリした顔で帰っていくのです。
2000万人以上の来場者のうち、中に入れるのはわずか1.5%程度。
つまりは、1900万人ものガッカリを見ているのが現実です。
「中と外が連動している体験こそがパビリオンの醍醐味」として頑張って作ったのに、それを体験できるのはほんのわずかな人だけ。
45秒だけの「ウォークスルーモード(Walk Through Mode)」を始めたのも、「予約がないと入れません」と帰ってもらうあの悲しみを少しでも軽減したいからです。
作家として「映画館をダッシュで駆け抜けるようなモード」など作りたいはずがありません。
それでも、ヘトヘトの人たちが何も見られずに帰る方が悲しいのです。
「こんなに悲しいことがありますか」
この落合さんの言葉こそが、万博の開催期間延長の核心的な理由なのです。
ちなみにこの唯一無二のシグパビ(シグネチャーパビリオン)は、万博会場ライブカメラでもその造形美を並ぶ人々も併せて確認することができますよ。
なお閉幕(号泣)後は、null²そっくりそのまま、他の場所に移設することが決まっています。
Summary of Ochiai’s Testament
Right, so here’s the thing about Ochiai’s pavilion story — it’s quite beautiful and heartbreaking at the same time, really.
They built this incredible space with virtually no money, working through the opening ceremony, sleeping in the pavilion, debugging till dawn. Classic tale of artists pouring everything into something they believed in. And it worked — perhaps too well.
Now they’ve got queues stretching impossibly far, millions of people making the journey in brutal heat, children on school trips, elderly visitors who remember the ’70 Expo. All arriving with hope, all leaving disappointed. “No reservation, no entry” — imagine saying that hundreds of times a day to faces that light up, then fall.
One and a half percent. That’s how many actually get inside to experience what they’d poured their souls into creating. The rest? They take photos of the exterior and walk away, carrying that peculiar sadness of the almost-but-not-quite.
It’s rather like releasing a record that everyone wants to hear, but only having enough vinyl for a tiny fraction of the audience. The rest just get to look at the sleeve.
Six months isn’t nearly enough time to let everyone in. Sometimes the most radical thing is simply… letting something continue.
大屋根リングの完成度を無駄にしてはいけない
特に注目すべきは、大屋根リングをはじめとする万博会場の驚異的な完成度です。
これらの建造物は、海外から訪れた来場者たちも「とにかく素晴らしい」「ずっと残すべきだ」などの感想を述べており、単なる一時的な構造物ではあっては絶対にいけません。
USJやディズニーランドのように、永続的な価値を持つ施設として機能し続けることができるはずです。
この美しく壮大なインフラストラクチャーをたったの半年で解体してしまうのは、まさに文明の浪費と言えるでしょう。
一言でいうと「もったいない」。
日本人の美徳であり、海外からも「Mottainai」として広く知れ渡っているこの言葉が、万博に該当するのは皮肉でしかないです。
代わりに、これらの施設を未来への長期的な投資として活用すべきなのです。
ミャクミャクとの別れは早すぎる
そして何より、あのかわいすぎるミャクミャクとまだまだ一緒にいたいと思いませんか?
ミャクミャクは単なるマスコットキャラクターを超えて、まさに万博の魂(ソウル)となっています。
時報代わりの美しい噴水ショーとともに、ミャクミャクは万博会場に命を吹き込んでいるようにも感じとれますね。
また、入場後すぐ地面に描かれているミャクミャクアート。
行きしなに見ると「Welcome」、帰りしなに見ると「Goodbye」というあの巧妙なアンビグラムも、恒久的に残してほしいものです。
他のミャクミャクアートもどれもかわいくて、見入ってしまいます。
こういった細やかな仕掛けこそが、万博の魔法を支えているんですね。
これらすべてを半年で終わらせてしまうのは、
あまりにも、もったいないことです!
満足度100%を目指すべき理由
大阪万博は、これまでのところ「並ばない」という目標を達成できたとは言えません。
万博を満喫したい人すべてがシームレスに、ストレスフリーで楽しめるように、「並ばない万博」の目標達成はもちろんのこと、来場者の満足度100%を目指して続けるべきです。
制約があるとしても、この素晴らしい空間と体験を何らかの形で継続させる道を模索すべきではないでしょうか。
「登録博覧会」の枠を超えた新しいカテゴリーの国際的な文化・教育施設として、大阪から世界に提案することもできるはずです。
万博を10年以上延長する構想
究極は、、、
万博を無期限に開催する。
ソーダ、これだ!※
これができたら、万博好きな人々の歓喜と安心感は半端ないに違いありません。
無期限にできるもの、と聞いてぱっと思い浮かぶのは、バーチャル万博ですよね。
しかし運営サイドは、リアル万博と同時にバーチャル万博も終了すると発表していますが(号泣)。
万博を予定終了日を超えて継続するには、大胆な発想が必要です。
想像してみてください→
恒久的な未来地区:パビリオンが研究拠点や文化センターに変身し、年々進化していく姿を。
テーマの循環交響曲:毎年新しい課題→気候、宇宙、健康、AIなどに特化した年間プログラムを。
永遠のデジタルパビリオン:世界中の人々が2025年以降も長期にわたって大阪万博を仮想現実で体験できる仕組みを。
文化の祭典:音楽コンサート、クラブイベント、ワークショップ、展覧会で溢れる劇場や広場が、芸術と科学を織り交ぜる空間を。
このようにして、万博は半年間の奇跡ではなく、人類の未来との10年間にわたる対話となりうるのです。
……
ひとまずは、このすごすぎるEXPO2025大阪万博が半年だけというのは、冗談抜きであまりに短すぎ。
なので、理想的には少なくとも1年間(+1~2ヶ月、アンコール的なのん)継続して、前向きに判断するのがいいかもですね。
万博は、1年!
これが2025年からの新しいスタンダードになりますように。
※
会場の西の果てフューチャーライフヴィレッジTEステージでは、「ミライ未来ソーダ」というSDGsな交流イベントをしょっちゅうやっています。すてき
もし閉幕が避けられないなら:すべての人のための大学
しかし、万博が2025年に確実に終了(号泣)しなければならないとしても、物語はそこで終わる必要はありません。
会場は次のように生まれ変われるポテンシャルを秘めています→
オープン大学:授業料や入学試験の壁なく、希望者誰もが自由に学べる場所として。
世界的な学園祭:学術会議、文化祭、学生のような熱気を融合した年次集会として。
芸術のステージ:コンサート、演劇、ワークショップ、DJクラブイベントが音楽と創造性で万博の空気を満たす空間として。
コミュニティのプラットフォーム:地域の伝統と世界のアイデアが出会い、誇りとイノベーションの両方を育む場として。
この形で、万博は単なる記憶としてではなく、世界のための生きたキャンパスとして、教育し、インスピレーションを与え、人々を結び続けることでしょう。
いろいろ「高すぎる」と言う意見もあるけど
批判的な人々は、万博を高価な贅沢品と切り捨てるかもしれません。
しかし、これは誤解です。
- 万博は支出ではなく投資です。雇用、観光、技術、国際的信頼への投資なのです
- その教育的・文化的価値はお金だけでは測れません。若者を啓発し、平和を育み、発明を促すのです
- 万博を「無駄」と呼ぶのは、チェロの値段だけで交響曲を判断するのと同じく的外れです
したがって、落ちついて、優雅にこう答えましょう→
「平和、知識、人類の共通の未来への投資が贅沢でしょうか?それとも、むしろ最も賢明な選択ではないでしょうか?」
資金繰りどうする
では、このようなビジョンを財政的にどのように支援すればいいのか?
その答えがこちらです→
クラウドファンディング:何百万人もの人々がささやかな金額を拠出し、万博の遺産の共同創造者となること。
慈善活動:私たちの時代を形作る世界で最も裕福な個人たちに、人類の共有ステージへの投資を呼びかけること。
公的支援:地方政府と国政府が安定性とガバナンスを提供すること。
これら三つの柱が一体となって、万博を10年以上にわたる文明の灯台として支え続けることができるはずです。
ドラゴンボール風に例えると、「オラにみんなの〇〇を分けてくれ!」的な、元気玉みたいな感じですかね。
詳しくみていきましょう。
寄付とクラウドファンディング
- グローバルな寄付プラットフォームを設け、世界中の市民が「未来社会の共同オーナー」として参加できる仕組みに。
- 例えば「年間10ドル」で「デジタル市民権」を得て、オンライン万博にアクセス可能とする。
- サステナブルな寄付文化を醸成すれば、数百万人規模の支援が見込める。
超富裕層からの出資
万博のサスティナブルな未来のためには、ここは非常に重要です。
- 世界のトップ1%の富裕層が資産の大半を保有しているのは周知の事実。
- 彼らに「人類の未来に投資する慈善活動」として万博を提示すれば、巨額の出資が期待できる。
- 特にテック界の大富豪(イーロン・マスク氏、ビル・ゲイツ氏など)にとっては、自身の技術やビジョンを世界に示す場として魅力的。
- ネーミング権やパビリオン命名権を提供するのも一案。
お金の云々カンヌン以前に、万博に興味深く、万博をサポートしたいという気持ちの強さが大切ですね。
そういった方に、運営権をまるごと譲渡するという手段もあります。
ハイブリッドな資金モデル
- 国・自治体の支援 + 民間投資 + 世界市民寄付 の三本柱で運営。
- 富裕層の寄付を「核」としつつ、クラウドファンディングで「民主的な参加」を広げる。
- 投資家には 「社会的インパクト投資」 としての魅力を示し、資金だけでなくブランド価値を万博に結びつける。
実現性
- たとえば10年間継続するには、少なくとも年間数百億円規模の運営費が必要。
- これは一国の負担では重すぎるが、
- 富裕層数十人からの寄付(1人あたり数百億円規模)
- 世界市民からの小口クラウドファンディング
を合わせれば、十分可能。
- 富裕層数十人からの寄付(1人あたり数百億円規模)
つまり
- 寄付と共感 → 世界市民の支え
- 富裕層の出資 → 資金の安定基盤
- 国・自治体の支援 → 制度的な裏付け
この三者が噛み合えば、EXPOは半年限りの祭典から「人類の未来都市」として、10年、あるいはそれ以上存続することが可能です!
結びに
大阪万博は、半年間の輝きで儚く消えてしまってはなりません。
想像力、寛大さ、そして決意があれば、未来の大学、人類の祭典、そして明日との約束として生き続けることができるのです。
問題は、このような遺産を私たちが支えられるかどうかではなく……
それを逃してしまう余裕があるかどうかなのです。
Summary
Look, it’s quite simple really. We’ve built something beautiful in Osaka — these pavilions, that magnificent ring structure — and now we’re talking about tearing it all down after six months. Seems a bit mad, doesn’t it?
Like finishing a brilliant album and then deciding to delete all the masters. The infrastructure’s there, the vision’s there, the technology’s working. Why not let it breathe, let it evolve? Transform it into something permanent — a place where culture and learning can flourish for years, not months.
It’s not about the money, though that matters too. It’s about not wasting what we’ve created. About having the courage to imagine something lasting in a world obsessed with the temporary.
Sometimes the most radical thing you can do is simply… just continue.
Why EXPO 2025 Osaka Should Not End After Six Months
When people think of the World Expo, they imagine a dazzling celebration — six months of innovation, culture, and connection.
Yet, if such a festival can be created once, why should it fade so quickly? What if Osaka could host not merely an “event,” but a living legacy of the future?
Extending the Expo for Ten Years and Beyond
To sustain the Expo beyond its scheduled closing date, we must think boldly. Imagine:
- A Permanent Future Quarter: Pavilions transformed into research hubs and cultural centres, evolving year by year.
- A Rotating Symphony of Themes: Each year devoted to a new challenge — climate, space, health, AI.
- A Digital Pavilion Eternal: Virtual reality allowing visitors worldwide to explore Osaka’s Expo long after 2025.
- A Festival of Culture: Theatres and plazas alive with concerts, workshops, and exhibitions, weaving art and science together.
In this way, the Expo becomes not a six-month wonder, but a decade-long dialogue with humanity’s future.
If Closure Is Inevitable: A University for All
Suppose, however, that the Expo must indeed close in 2025. Even then, the story need not end. The grounds could be reborn as:
- An Open University: A place where anyone may learn freely, without barriers of tuition or entrance exams.
- A Global School Festival: Annual gatherings blending academic congresses, cultural fairs, and student-like enthusiasm.
- A Stage for the Arts: Concerts, plays, and workshops filling the air with music and creativity.
- A Platform for Communities: Local traditions and global ideas meeting side by side, fuelling both pride and innovation.
In this form, the Expo would continue to educate, inspire, and unite — not as a memory, but as a living campus for the world.
To Those Who Call It “Too Expensive”
Critics may dismiss the Expo as a costly indulgence. Yet this is a misunderstanding.
- The Expo is not expenditure, but investment — in employment, tourism, technology, and international trust.
- Its educational and cultural value cannot be measured in yen alone. It enlightens youth, nurtures peace, and inspires invention.
- To call it “waste” is as misguided as judging a symphony solely by the price of the violins.
Thus, one may reply with elegance:
“Is it extravagance to invest in peace, knowledge, and the shared future of mankind? Or is it, rather, the most prudent of choices?”
A Call to Citizens and Benefactors
How, then, might we sustain such a vision financially?
- Crowdfunding: Millions contributing modest amounts, becoming co-creators of the Expo’s legacy.
- Philanthropy: The world’s wealthiest individuals, whose fortunes shape our age, invited to invest in humanity’s shared stage.
- Public Support: Local and national governments providing stability and governance.
Together, these three pillars can uphold the Expo as a beacon of civilisation for a decade or more.
In Closing
The Osaka Expo need not be six months of brilliance extinguished. With imagination, generosity, and resolve, it may live on as a University of the Future, a Festival of Humanity, and a covenant with tomorrow.
The question is not whether we can afford such a legacy — but whether we can afford to let it slip away.







