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もし「遠い山なみの光」の悦子さんが閉幕間際の大阪万博へ行ったら

もし「遠い山なみの光」の悦子さんが閉幕間際の大阪万博へ行ったら
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秋の気配が漂い始めた十月のある日、悦子さんは長崎から大阪へ向かった。
目的は、まもなく閉幕(号泣)を迎える2025年の大阪・関西万博。
彼女にしては珍しい選択だった。
人混みを避け、静かな山里に身を置くことを好む彼女が、世界中の人々が集う祭典に足を運ぶとは。

けれども、悦子さんは「SDGs達成への貢献とSociety5.0の実現」というテーマに、なぜか惹かれていた。
難しい言葉ではあるが、それは要するに「みんなが幸せに生きられる未来」ということだろう。遠い山なみの光を見つめ穏やかに過ごしてきた年月の中で、彼女は「未来」という言葉に、静かな重みを感じるようになっていたのかもしれない。

The Light from Distant Mountains: Etsuko at Osaka Expo 2025

閉幕間際の喧騒

会場に着いた悦子さんは、想像以上の人の波に少し戸惑った。
「あとちょっとで終わる」という焦りが、人々を駆り立てているのだろう。
異常気象の猛暑が落ち着き、秋らしい気候になってきたことも一因かもしれない。

若者たちは足早に歩き、家族連れは疲れた表情を浮かべながらも、次のパビリオンへと急ぐ。

どのパビリオンも長蛇の列、並び続ける万博会場だった。

悦子さんは、ゆっくりと歩いた。急ぐ必要はない。
彼女にとって大切なのは、「見ること」ではなく、五感で「感じること」だったから。

null²パビリオンの前で

メディアアーティストの落合陽一氏が手掛けた「null²(ヌルヌル)」パビリオンの前に立った時、悦子さんは人々の長い列を見て、静かに息をついた。
予約がなければ入れないという。スマートフォンを取り出し、予約画面を開こうとしたが、操作に戸惑う。

若いスタッフが声をかけてくれた。「予約がないと、現在のところ中には入れないんです。ウォークモードもキャパオーバーで……申し訳ございません」

悦子さんは微笑んで頷いた。
「そうですか。でも、この唯一無二の造形美、外から見るだけでも十分素敵ですね」

鏡面素材の外壁に映る空と人々。
そこには、未来と現在が一体化して重なり合っていた。

中に入れなかったことは残念だったが、悦子さんは不思議と腹を立てることはなかった。
紆余曲折の人生の中で、彼女は「思い通りにならないこと」を受け入れる術を身につけていたのだ。

それでも、心の奥には小さな疑問が残った。
「こんなに素晴らしいものを、どうしてたった半年で終わらせてしまうのだろう」

日本館での静かな時間

次に訪れた日本館では、「いのちと、いのちの、あいだに」というテーマのもと、生命のつながりや循環を体験できる展示が広がっていた。木材を用いた円環状の建物は、どこか温かみがあった。

悦子さんは、「Plant」「Farm」「Factory」という3つのエリアをゆっくりと巡った。
微生物がエネルギーを生み出す様子や、藻類から作られる素材の展示……難しい技術の話ではあったが、それらはすべて「いのち」のつながりを感じさせるものだった。

火星の隕石に触れる体験コーナーで、悦子さんはそっと手を伸ばした。
冷たく、硬い石。遠い宇宙から来た、いのちのかけらのようなもの。

「ああ、こういう場所が、これからもずっと続いていくといいのに」

悦子さんは、そう思った。
未来は都会だけのものではない。
静かな山里にも、宇宙にも、明るい未来はある。
そのことを、このパビリオンは教えてくれていた。

イギリス館での小さな発見

日本館を出た後、悦子さんはイギリス館へ足を運んだ。
「ともに未来をつくろう」というテーマに惹かれたのだ。

モジュール型の再利用可能な建築という説明を聞いて、悦子さんは「なるほど」と頷いた。建物も、使い終わったら別の場所で使える……それは、ものを大切にする心に通じるものがあった。

赤いキャラクター「PIX」が、スクリーンの中で英国の4地域を案内してくれた。
映像と音響が織りなす空間の中で、悦子さんはまるで英国を旅しているような気分になった。

館内にはイングリッシュガーデンもあった。
小さな庭だったが、丁寧に手入れされた花々が美しかった。悦子さんは、自宅の庭を思い出した。

「こういう庭も、万博が続いていたら、季節ごとに違う花が見られるのでしょうね」

イギリス館のレストランでは、英国料理を味わうこともできた。悦子さんは紅茶を注文し、ゆっくりと時間を過ごした。ウイスキーバーもあったが、それは遠慮しておいた。

ショップで英国ブランドの小物を見ていると、孫への土産を見つけた。
小さな紅茶のセット。きっと喜んでくれるだろう。

不慣れなキャッシュレス決済で、お会計は異様に時間がかかってしまった。

「ああ、でも、また来られたら、もっといろいろ見られたのに」

悦子さんは、そう思った。一度の訪問では、すべてを味わいきれない。それが万博の豊かさであり、同時に、半年で終わってしまうことのもどかしさでもあった。

ミャクミャクとの出会い

会場を歩いていると、あのかわいらしいマスコットキャラクター、ミャクミャクに出会った。
悦子さんは思わず足を止めた。
不思議な生き物だが、どこか愛らしい。
子どもたちがミャクミャクの周りに集まり、写真を撮っている。

悦子さんも、そっと近づいて写真を撮った。
スマートフォンの操作はまだ慣れないが、孫に見せたら喜ぶだろう。

噴水ショーが始まった。
時報代わりに行われるそれは、音楽に合わせて水が踊る、美しい光景だった。
悦子さんは、ベンチに座って、その様子をじっと見つめていた。

「こんなに素敵なものを、もうすぐ見られなくなるのね」

ひとりの時間

万博の喧騒の中で、悦子さんはひとりベンチに座り、空を見上げた。
十月の空は高く、澄んでいた。

彼女はふと、娘の景子のことを思い出した。
もし景子が一緒に来ていたら、この未来の祭典をどう見ただろうか。

「景子だったら、『お母さん、これ見て!』って、あちこち引っ張り回されたかもしれないわね」

悦子さんは、そっと微笑んだ。でも、景子もきっと、ミャクミャクを見たら無邪気に笑ったに違いない。
そして、噴水ショーを見ながら、「きれいだね」と言ったはずだ。

大屋根リングの下で

ベンチから立ち上がり、悦子さんは再び歩き始めた。

そして、万博会場の中心部を円形に囲む巨大な構造物——大屋根リングの下に立った。

直径約615メートル。悦子さんには想像もつかない大きさだったが、実際にその下に立つと、その圧倒的なスケールに息をのんだ。
まるで未来都市のゲートのよう。
太陽の光が屋根の隙間から差し込み、美しい陰影を作っていた。

「これも、なくなってしまうのね」

悦子さんは、そう呟いた。

案内板を読むと、この大屋根リングには太陽光パネルや雨水の循環システムが備わっているという。
暑い日には日陰を、雨の日には雨よけを提供してくれる。
実際、この日も大屋根の下は快適で、多くの人が休憩していた。

「こんなに素晴らしいものを、どうして壊してしまうのかしら」

近くにいた若い女性が、スマートフォンを見ながら友人に話していた。「#大屋根リング全部残そう、ってハッシュタグあるんだって。私も賛成」

悦子さんは、その言葉に耳を傾けた。若い人たちも、この建物を残したいと思っているのだ。

ベンチに座っていた年配の男性が、連れの女性に話しかけていた。
「京都大学の山極先生も保存を訴えておられるそうだ。エッフェル塔や太陽の塔のように、未来に残すべきレガシーだと」

「そうね、パリのエッフェル塔も、最初は20年で解体される予定だったのよね。でも残されて、今ではパリのシンボルになっている」

悦子さんは、その会話を聞きながら、大屋根リングを見上げた。

確かに、この構造物には「多様でありながら、ひとつ」という何かが宿っているように感じられた。
円環(リング)という形が、すべてを包み込むような温かさを持っていた。

「100年の計で決めるべき、か」

悦子さんは、先ほどの男性の言葉を反芻した。確かに、こういう大きなものは、一時の判断で壊してしまうべきではないのかもしれない。

「……大屋根リング、残さんば」

思わず、地元長崎の方言で独り言を呟いてしまった。

万博が閉幕した後も、数ヶ月でも開放してくれたら。
入場料を払ってでも、もう一度この大屋根リングの下を歩いてみたい。
今度は景子と一緒に、涼しい秋の日に。

「もったいない」という言葉

帰りの電車の中、悦子さんは万博のパンフレットを膝に置きながら、窓の外の夕暮れを眺めていた。遠くにうっすらと山なみが見えた。
そこには、いつもの静けさがあった。

「Mottainai」

悦子さんは、そう呟いた。

あんなに素晴らしい建物を、あんなに美しい空間を、たった半年で終わらせてしまうのは、本当にもったいない
予約が取れなくて入れなかった人々、遠くて来られなかった人々、体調を崩して行けなかった人々……
みんな、見たかったはずだ。

悦子さん自身も、もう一度行きたいと思った。今度は秋が深まった頃、あるいは冬の澄んだ空気の中で。

暑さに弱い彼女にとって、真夏の万博は辛かった。
もし秋冬も開いていたら、もっとゆっくりと、もっと快適に巡ることができたはずだ。

シニアの視点から

悦子さんの世代は、1970年の大阪万博を覚えている。
あの時の興奮、未来への希望。
そして、あの万博の遺産が、今もなお大阪に残っていることを知っている。

「もし、この万博も続いていたら」

悦子さんは想像した。
孫たちを連れて、また来られるかもしれない。
季節ごとに違う顔を見せる万博を、何度も訪れることができるかもしれない。
予約が取れなかったパビリオンにも、いつかは入れるのかもしれない。

USJやディズニーランドのように、ずっとそこにあるもの。
何度でも行けるもの。
そういう場所として、万博が残っていてもいいのではないか。

未来は、静かにやってくるのかもしれない

電車が長崎に近づく頃、悦子さんは目を閉じた。
万博で見たもの、感じたもの、そして会えなかったもの……
すべてが心の中で静かに広がっていった。

「未来は、静かにやってくるのかもしれない」

悦子さんは、そう思った。でも、その未来は、急いで消し去るものではない。
ゆっくりと、じっくりと、みんなが味わえるように、そこにあり続けるべきものではないだろうか。

遠い山なみの光のように、万博の光も、長く、静かに、人々を照らし続けてほしい。

悦子さんは、そう願った。


あとがき:シニア世代に伝えたいこと

ここまでお読みいただきありがとうございます。

大阪万博は、2025年10月13日に閉幕を迎えます。
でも、本当にそれでいいのでしょうか。

  • 予約システムが使いこなせないシニア世代の方々
  • 暑さに弱く、夏場に行けなかった方々
  • 体調を崩して、延期していた方々
  • 遠方で、費用や時間の都合がつかなかった方々

こうした人々にも、万博を楽しむ機会が与えられるべきではないでしょうか。

1970年の大阪万博の遺産が今も残っているように、2025年の万博も、何らかの形で残り続けることができるはずです。
完成度の高いパビリオンや施設、美しいミャクミャク、素晴らしい噴水ショー、ドローンショー
……これらを半年で終わらせてしまうのは、あまりにももったいないのです。

シニア世代の皆さんの声が、万博の未来を変えるかもしれません。「もっと続けてほしい」「また行きたい」「孫と一緒に行きたい」……そんな声が集まれば、きっと何かが変わるはずです。

声をあげ続けましょう。

万博は、未来だけのものではありません。
すべての世代が、ゆっくりと、快適に楽しめる場所であるべきなのです。

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※本ブログはフィクションとノンフィクションのハザマです

Summary

Look, Etsuko’s journey rather sums it up, doesn’t it?

She travelled all that way from Nagasaki, queued in the October heat, couldn’t get into the pavilion she’d hoped to see. Yet she didn’t complain — just smiled at the reflection in the mirrored walls and thought, “What a shame to end this so soon.”

That’s the thing about closing something after six months. You’re not just shutting down buildings — you’re turning away grandmothers who need cooler weather to visit comfortably, families still saving up for the journey, people who couldn’t navigate the booking system quickly enough.

Etsuko remembered the ’70 Expo, how its legacy persisted. She wondered, quietly, why this one couldn’t do the same. Not as a monument, but as a living space — somewhere to return to across seasons, across years.

“Mottainai,” she whispered on the train home.
Too wasteful. Too precious to let go.

Sometimes wisdom speaks softly, but it speaks true.

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note

残そう万博